生きる意味を失ったとき
When Life Has Lost Its Meaning
空虚、失望、喪失、方向を失った心へ
― 希望、回復、そしてキリストにある新しいいのち ―
著者:Prof. Dr. Lawrence M. F. Adams
はじめに
「もう、何のために生きればいいのだろう」
朝、目を覚ます。
仕事へ行く。
学校へ行く。
家族のために働く。
食事をする。
スマートフォンを見る。
人と話す。
家に帰る。
眠る。
そして、また次の日が来る。
外から見れば、普通の生活です。
しかし心の中では、
「何のために生きているのだろう。」
「これを続けて、何になるのだろう。」
「以前は夢があったのに、今は何も感じない。」
「頑張ってきた。でも、何も残っていない気がする。」
「人生が空っぽになった。」
そんな感覚を抱えている人がいます。
人生には、明確な理由がある時期があります。
子どものために生きる。
家族のために生きる。
仕事のために生きる。
夢のために生きる。
誰かを助けるために生きる。
しかし、ある出来事によって、その理由が突然崩れることがあります。
失業。
離婚。
病気。
大切な人との死別。
経済的破綻。
人間関係の崩壊。
夢の失敗。
長年努力した仕事の終わり。
子どもの独立。
退職。
社会的地位の喪失。
あるいは、特別な出来事が何もないのに、心の中が空っぽになることもあります。
そのとき、人はこう考えます。
「私は、これから何のために生きればいいのだろう。」
本書は、その問いを軽く扱いません。
「前向きになればいい。」
「考え方を変えればいい。」
「もっと頑張ればいい。」
そんな簡単な答えを与えるための本ではありません。
人生の意味を失うことは、人間の存在そのものに関わる深い経験だからです。
そして本書では、その暗い場所から一歩ずつ、
希望、回復、赦し、目的、そして新しい人生
について考えていきます。
キリスト教には、一つの驚くべき主張があります。
人生が壊れたところで、神の働きが終わるわけではない。
失敗した人生にも、回復の可能性がある。
失われたものの中にも、神は新しいものを生み出すことができる。
そしてキリストにおいて、人間は「新しく造られる」ことができる。
パウロは、
「だれでもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です」
という趣旨を語っています(2 Corinthians 5:17)。
本書は、その希望を探る旅です。
第1章
人生が空っぽになるとき
人生の空虚感は、必ずしも物が足りないことから生じるわけではありません。
家がある。
仕事がある。
家族がいる。
食べ物がある。
生活もできている。
それでも心の中が空っぽになることがあります。
心理学では、こうした経験を「meaninglessness(無意味感)」や「existential vacuum(実存的空虚)」と関連づけて論じる研究があります(Frankl, 2006)。
外側に問題がなくても、内側では大きな問いが生まれることがあります。
「これに何の意味があるのか。」
この問いを無視すると、人生は単なる繰り返しになってしまいます。
第2章
「何も感じない」という痛み
人生の意味を失ったとき、人は必ずしも泣くとは限りません。
むしろ、
何も感じなくなる
ことがあります。
嬉しくない。
悲しくもない。
何をしても心が動かない。
以前好きだったものにも興味がない。
人と会うのも面倒になる。
未来について考えることさえ疲れる。
これは単なる「怠け」ではありません。
心理的な苦痛がこのような形で現れることがあります。
強い無気力や興味の喪失が長く続く場合には、精神的・身体的な健康状態について専門家に相談することが大切です。
信仰を持つことと、医師や心理職に相談することは対立しません。
必要な医療を受けながら祈ることもできます。
第3章
失望は人生の地図を壊す
人生には期待があります。
「こうなるはずだった。」
「いつか成功するはずだった。」
「この人とはずっと一緒だと思っていた。」
「この仕事を定年まで続けると思っていた。」
「家族はいつまでも一緒だと思っていた。」
しかし現実は、私たちの計画どおりには進みません。
失望とは、単に「残念だった」という感情ではありません。
時には、
未来について持っていた自分の物語が崩れること
です。
だから失望は、方向喪失を引き起こします。
第4章
「私の夢はどこへ行ったのか」
若い頃には夢があります。
しかし年月が過ぎると、夢が変わることがあります。
ある夢は実現します。
ある夢は失敗します。
ある夢は、自分が本当に望んでいたものではなかったと分かります。
そして、ある夢は状況によって失われます。
夢を失うことは、必ずしも人生を失うことではありません。
むしろ、
夢の喪失を通して、本当に大切なものを再発見すること
ができる場合があります。
第5章
「私は失敗した」
失敗は、出来事です。
しかし人間は、失敗をアイデンティティに変えてしまうことがあります。
「私は試験に落ちた。」
から、
「私は失敗者だ。」
へ。
「私は仕事を失った。」
から、
「私は価値のない人間だ。」
へ。
「結婚がうまくいかなかった。」
から、
「私は愛される価値がない。」
へ。
ここには大きな違いがあります。
失敗したことと、失敗そのものになることは違います。
あなたが経験したことは、あなたの人生の一部です。
しかし、それがあなたの全存在を定義する必要はありません。
第6章
過去に閉じ込められる
過去には力があります。
特に後悔は強い力を持っています。
「あのとき違う選択をしていたら。」
「あの人にもっと優しくしていたら。」
「あの仕事を辞めていなければ。」
「あの機会を逃していなければ。」
しかし、過去を何度考えても、過去そのものを変更することはできません。
だから必要なのは、
過去を消すことではなく、過去との関係を変えること
です。
経験から学ぶ。
必要なら謝る。
赦しを求める。
赦す。
そして未来へ進む。
第7章
後悔と罪悪感
すべての後悔が同じではありません。
「もっと勉強すればよかった。」
という後悔もあれば、
「私は人を傷つけた。」
という深い罪悪感もあります。
後者には、単なる自己肯定では十分でない場合があります。
「気にしなくていい。」
ではなく、
「私は間違っていた。」
と認めることが必要になることがあります。
しかしキリスト教は、罪の告白だけで終わりません。
赦し
を語ります。
ヨハネ第一1章9節は、罪を告白する者に対する神の赦しについて述べています(1 John 1:9)。
第8章
赦しは過去を否定しない
赦すとは、
「何も悪くなかった」
と言うことではありません。
悪かったことを悪かったと認めたうえで、その出来事に自分の人生を永遠に支配させないことです。
神からの赦しというキリスト教の教えは、罪を軽視することではありません。
むしろ、
罪を真剣に扱いながら、罪よりも大きな恵みを示すこと
です。
第9章
「もう一度始められるのか」
人生のある時点で、人はこの問いを持ちます。
「もう一度始められるのか。」
キリスト教の答えは、
はい。
です。
ただし、「何もなかったことにして最初からやり直す」という意味ではありません。
傷も残る。
経験も残る。
記憶も残る。
しかし、その人生に新しい方向を与えることはできます。
第10章
新しい始まり
聖書には、新しい始まりの物語が数多くあります。
アブラハム。
モーセ。
ダビデ。
ペテロ。
パウロ。
彼らの人生には失敗もありました。
しかし、彼らの失敗が物語の最後ではありませんでした。
神の恵みが、彼らの人生を新しい方向へ導いたと聖書は語ります。
これは、
「失敗しても何をしてもよい」
という意味ではありません。
むしろ、
失敗の後にも神の恵みが働く可能性がある
という希望です。
第11章
希望とは何か
希望は、
「きっと全部うまくいく」
という楽観主義とは違います。
希望とは、
今は見えない未来に向かって歩む理由
です。
キリスト教の希望は、状況が必ず自分の望む通りになるという保証ではありません。
むしろ、
神が見捨てない
という信頼に根ざしています。
ローマ人への手紙5章3–5節では、苦難、忍耐、練達、希望という流れが語られています(Romans 5:3–5)。
第12章
希望がなくなるとき
希望を失うと、人は未来を想像できなくなります。
今日だけを見る。
明日を考えない。
来月も考えない。
来年も考えない。
人生全体が「今の痛み」だけになります。
だから、希望を取り戻すことは、未来を再び想像することでもあります。
最初は大きな未来でなくてよいのです。
明日の朝。
来週の予定。
誰かとの会話。
一冊の本。
小さな仕事。
小さな奉仕。
小さな祈り。
希望は、小さく始まることがあります。
第13章
苦しみには意味があるのか
これは簡単な質問ではありません。
すべての苦しみに、
「神があなたを成長させるために送った」
と説明することは危険です。
聖書そのものにも、苦しみの問題についての深い嘆きがあります。
詩篇には、
「なぜですか」
という問いが繰り返し登場します。
ヨブ記もまた、苦しみの意味をめぐる長い格闘を描きます。
つまり、
「なぜですか」と神に尋ねること自体が、信仰の外側にあるとは限りません。
第14章
ヨブの問い
ヨブは正しい人でした。
それにもかかわらず、彼は大きな苦しみを経験しました。
彼は説明を求めました。
「なぜですか。」
しかし、ヨブ記は単純な原因説明だけを与える本ではありません。
最終的に、ヨブは神の偉大さと自分の限界に向き合います(Job 38–42)。
この物語は、
「苦しみには必ず人間が理解できる理由がある」
とは言っていません。
むしろ、
人間の理解を超える領域がある
ことを示しています。
第15章
神に怒ってもいいのか
苦しんでいる人は神に怒ることがあります。
「なぜ助けてくれなかったのですか。」
「なぜ私だけですか。」
「なぜこの人を失わせたのですか。」
聖書には、神に対する嘆きの言葉が存在します。
だから、神の前では、
「私は大丈夫です」
と無理に装う必要はありません。
祈りとは、神の前で自分の心を正直にすることでもあります。
第16章
神は遠くにいるのか
人生が壊れると、
「神はどこにいるのか」
という問いが生まれます。
キリスト教は、神が人間の苦しみから遠く離れているとは考えません。
その中心に十字架があります。
キリスト教の神は、人間の苦しみを外側から観察するだけではなく、キリストにおいて苦しみの中に入られた、と理解されます。
十字架は、
神が人間の痛みを無視していない
というキリスト教的希望の中心です(Stott, 1986)。
第17章
イエスも涙を流した
ヨハネ11章では、イエスがラザロの死を前にして涙を流したことが記されています(John 11:35)。
「イエスは泣いた。」
この短い言葉には大きな意味があります。
悲しみを感じることは、信仰の失敗ではありません。
涙を流すことは、弱さの証明ではありません。
悲しむことは、人間であることの一部です。
キリスト教の希望は、
「泣くな」
ではありません。
涙の中にも神が共にいる
という希望です。
第18章
あなたの痛みは無視されていない
あなたが経験したことを、他人が完全に理解できるとは限りません。
しかし、キリスト教では神はあなたを知っていると信じます。
詩篇139篇は、人間の存在を神が深く知っていることを描きます(Psalm 139)。
これは単なる宗教的慰めではありません。
「私は誰にも理解されない」
という孤独に対して、
「あなたは神に知られている」
という答えです。
第19章
「なぜ私なのか」
苦しみの中では、
「なぜ私なのか」
という問いが自然に出てきます。
しかし、ある時点で別の問いを考えることもできます。
「この経験を通して、私は何を学べるだろう。」
「私は誰に寄り添えるようになるだろう。」
「これから何を大切にするのだろう。」
「私はどんな人間になりたいのだろう。」
この転換は、苦しみを美化することではありません。
苦しみを経験したからこそ、
人生の方向を再考できる
ということです。
第20章
意味を失った人生をどう再構築するか
人生の意味を失ったとき、一度に人生全体を修復しようとしてはいけません。
まず今日を生きる。
次に明日を考える。
そして少しずつ方向を取り戻す。
Frankl(2006)が強調したように、人間は状況の中で意味を探すことができます。
意味は、
愛すること。
仕事をすること。
創造すること。
他者に仕えること。
苦しみに対する態度。
などを通して経験される場合があります。
第21章
人生の意味は一つの答えではない
人生の意味は、すべての人に同じ形で現れるとは限りません。
ある人にとっては家族。
別の人にとっては研究。
別の人にとっては芸術。
別の人にとっては社会奉仕。
別の人にとっては信仰。
しかしキリスト教では、それらの個別的な目的のさらに上に、
神との関係
という究極的な目的があります。
第22章
神なしで意味を作ることはできるのか
哲学には、人生の意味を神なしに考える伝統があります。
実存主義では、人間の自由と責任が強調されます(Sartre, 2007)。
「世界が最初から意味を与えてくれないなら、自分で意味を作る。」
これは一つの強力な思想です。
しかし、ここには難しい問いがあります。
もし意味を完全に自分で作るなら、
「私の人生の目的」
と
「他人の人生の目的」
が衝突したとき、何が最終的な基準になるのでしょうか。
キリスト教は、
意味は人間が完全に発明するものではなく、創造主との関係の中に発見される
と答えます。
第23章
「私は必要とされているのか」
人間は、
「自分は誰かに必要とされている」
と感じたいものです。
これは「所属の欲求」と深く関係しています(Baumeister & Leary, 1995)。
しかし、人から必要とされることだけに価値を置くと、状況が変わったときに自分の価値も崩れてしまいます。
キリスト教では、
あなたの価値は、誰かがあなたを必要としているかどうかより深いところにある
と考えます。
あなたは創造された存在です。
第24章
「私は愛されているのか」
愛されているという感覚は、人間の人生に深い影響を与えます。
しかし人間の愛には限界があります。
人は変わる。
人は離れる。
人は死ぬ。
人は失望させる。
だからキリスト教は、
神の愛
を究極的な基盤として提示します。
ローマ5章8節は、罪人である人間に対する神の愛を、キリストの死との関連で語ります(Romans 5:8)。
第25章
神の愛は「ご褒美」ではない
神の愛は、
「良いことをしたから愛してもらえる」
という報酬ではありません。
キリスト教の恵みは、むしろ、
愛される資格を自分で作り出せない人間に、神が先に愛を示す
という方向を持っています。
これが恵みです。
第26章
十字架と失敗した人間
十字架を見ると、
「人間は罪深い」
ということだけが見えるように感じるかもしれません。
しかしキリスト教では、十字架には同時に、
「神はそれでも人間を愛した」
というメッセージがあります。
罪の深さと愛の深さ。
この二つが十字架で交差します。
第27章
赦しによって過去から自由になる
赦しは、人生の方向を変える力を持っています。
神から赦される。
他人を赦す。
自分自身を赦すことを学ぶ。
もちろん、自分を赦すことは、自分の行為を正当化することではありません。
責任を取る。
必要なら償う。
そして、それでも未来へ進む。
キリスト教の赦しは、
罪の否定ではなく、罪の支配からの解放
です。
第28章
キリストにある「新しい人」
コリント第二5章17節は、キリストにある者を「新しく造られた者」として描きます(2 Corinthians 5:17)。
ここでいう新しさは、記憶を消すことではありません。
人格を別人に交換することでもありません。
むしろ、
人生の中心と方向が新しくなる
という意味で理解できます。
第29章
新しい人生とは何か
新しい人生とは、
問題がなくなる人生
ではありません。
クリスチャンになれば、
病気にならない。
失業しない。
人間関係で傷つかない。
悲しまない。
という意味ではありません。
むしろ、
問題の中で、どこに希望を置くのかが変わる
ということです。
第30章
キリストはすべてを「新しくする」
黙示録21章5節には、
「見よ、わたしはすべてのものを新しくする」
という希望が示されています(Revelation 21:5, KJV)。
これはキリスト教の終末論的希望の重要な部分です。
神の救いは、単に「死後に天国へ行く」という個人的な希望だけではありません。
聖書の終末的ビジョンには、
新しい天と新しい地
という、創造全体の回復の希望があります(Revelation 21–22)。
第31章
希望は未来だけではない
キリスト教の希望には未来的な側面があります。
しかし、それは現在を無視することではありません。
希望があるから、
今日も生きる。
今日も愛する。
今日も働く。
今日も赦す。
今日も奉仕する。
今日も祈る。
未来への希望が現在の行動を変えるのです。
第32章
小さな意味を取り戻す
人生全体の意味が見えないとき、
小さな意味を探してください。
今日できること。
今日愛せる人。
今日助けられる人。
今日学べること。
今日感謝できること。
今日謝るべき人。
今日読むべき言葉。
今日祈ること。
人生の再建は、大きな答えから始まるとは限りません。
小さな一歩から始まることがあります。
第33章
誰かのために生きる
意味を失ったとき、自分の内側だけを見続けると、ますます閉じ込められることがあります。
だから、
誰かを助ける。
誰かの話を聞く。
誰かを励ます。
誰かに食事を届ける。
誰かの仕事を助ける。
誰かの孤独に寄り添う。
こうした行為は、人生を自分自身の問題だけから解放します。
人間は他者との関係の中で生きる存在です(Baumeister & Leary, 1995)。
第34章
奉仕は人生を変える
奉仕は、
「私は何を得るか」
という問いを、
「私は何を与えられるか」
という問いに変えます。
イエスは、偉大さを他者への奉仕と結びつけました(Mark 10:43–45)。
これはキリスト教的リーダーシップの中心的な考え方の一つです。
第35章
人生の目的は「自分を完成させること」だけではない
現代社会では、
「自分を実現する」
ことが重要視されます。
しかし人間は、
自分自身を完成させるためだけに存在しているのではありません。
他者を愛する。
社会に仕える。
真理を求める。
神を知る。
創造主から与えられた能力を用いる。
キリスト教では、こうした方向が人生の目的に含まれます。
第36章
「神に戻る」という考え
聖書の物語を大きく見ると、
創造。
堕落。
救い。
回復。
という流れがあります。
人間は神によって創造された。
罪によって神との関係が壊れた。
キリストによって救いの道が示された。
そして最終的に神がすべてを回復する。
これは、キリスト教の救済史を理解するための基本的枠組みです。
第37章
イエスは失われた人を探す
ルカ19章10節では、イエスが、
「失われた者を捜して救うために来た」
という趣旨の言葉が記されています(Luke 19:10)。
ここで重要なのは、
失われた人が、自分一人で帰らなければならない
という話ではないことです。
キリストが探しに来る。
これが福音の美しい部分です。
第38章
放蕩息子の物語
ルカ15章には、放蕩息子のたとえがあります。
息子は父親から離れます。
自分の道を選びます。
そして、すべてを失います。
彼は、
「父のところへ帰ろう」
と決心します。
この物語の中心は、息子の失敗だけではありません。
父親の迎える姿です。
イエスはこのたとえを通して、神が失われた人を迎える方であることを示しています(Luke 15:11–32)。
第39章
「帰る」という言葉
人生の意味を失った人にとって、
「帰る」
という言葉は重要です。
必ずしも昔の生活に戻るという意味ではありません。
神との関係へ戻る
という意味です。
「私はここまで離れてしまった。」
「今さら戻れない。」
そんな思いがあるかもしれません。
しかし福音は、
「戻ってきなさい」
と招きます。
第40章
イエスは宗教的な成功者だけを招かない
イエスの周りには、
失敗した人。
社会から低く見られた人。
病気の人。
貧しい人。
罪人と呼ばれた人。
孤独な人。
多くの人がいました。
イエスは、
「まず完璧になってから来なさい」
とは言いませんでした。
「来なさい」
と招きました。
第41章
「疲れた人は来なさい」
マタイ11章28節でイエスは、
「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい」
と招きます(Matthew 11:28, KJV)。
人生の意味を失った人に、この言葉は非常に深い意味を持ちます。
「もっと頑張れ」
ではありません。
「まず来なさい」
です。
第42章
新しい命
キリスト教では、救いは単なる「罪の帳消し」ではありません。
新しい命です。
パウロは、キリストと結ばれることを新しい歩みと結びつけています(Romans 6:4)。
これは、
「私は過去の人間のままである必要はない」
という希望です。
第43章
新しい方向
新しい人生には、新しい方向があります。
以前は自分だけを中心にしていた。
今は神を中心にする。
以前は成功だけを追いかけていた。
今は愛を大切にする。
以前は他人を利用していた。
今は仕える。
以前は過去に閉じ込められていた。
今は未来へ向かう。
これが新しい方向です。
第44章
しかし、回復には時間がかかる
信仰を持った瞬間に、人生のすべての問題が消えるわけではありません。
傷が癒えるまで時間がかかることがあります。
信頼を取り戻すまで時間がかかる。
人間関係を修復するまで時間がかかる。
自分を赦すまで時間がかかる。
だから、
回復の速度を他人と比較しないでください。
第45章
「今日」は新しい始まりになれる
過去は変えられません。
しかし、今日の選択はできます。
今日、
神を求める。
今日、
誰かを赦す。
今日、
助けを求める。
今日、
誰かを助ける。
今日、
聖書を読む。
今日、
祈る。
今日、
もう一度歩き始める。
それだけでも、新しい方向への一歩になります。
第46章
人生を再構築する七つの柱
意味を失った人生を再構築するために、次の七つを考えてみましょう。
1.真実
自分の状態を正直に認める。
2.関係
信頼できる人とのつながりを回復する。
3.責任
必要なところで自分の責任を引き受ける。
4.赦し
神からの赦しを受け、他者を赦すことを学ぶ。
5.目的
自分の能力を何のために使うのか考える。
6.奉仕
誰かのために生きる。
7.希望
未来を完全には見られなくても、希望に向かって歩む。
第47章
一人で回復しなくてもいい
意味を失ったとき、
「自分で何とかしなければ」
と考えがちです。
しかし、人間は一人で生きるように造られた存在ではありません。
家族。
友人。
教会。
地域社会。
専門家。
医師。
心理職。
カウンセラー。
牧師。
信頼できる人。
助けを求めることは敗北ではありません。
助けを求めることは、回復への勇気ある一歩です。
第48章
信仰と専門的支援
キリスト教信仰は、医学や心理学を否定する必要はありません。
身体の病気には医療が必要です。
心理的な問題には心理的支援が必要な場合があります。
社会的問題には社会的支援が必要です。
そして精神的・霊的問いには、祈りや信仰共同体が助けになることがあります。
人間は身体、心、社会関係、そして霊的側面を持つ複合的な存在です。
したがって、
信仰と専門的支援を対立させない
ことが重要です。
第49章
もし今、深い絶望の中にいるなら
もしあなたが今、
「生きる意味がない」
と感じているなら、その感情を一人で抱え込まないでください。
信頼できる人に話してください。
家族や友人に伝えてください。
必要なら医療機関や心理職などの専門家に相談してください。
もし自分を傷つけることや命を絶つことを考えている場合は、今すぐ地域の緊急支援、医療機関、または信頼できる人につながり、一人にならないことが大切です。
祈りもできます。
しかし、祈りだけで苦しみに耐え続けなければならない、という意味ではありません。
助けを求めることも、生きるための一歩です。
第50章
あなたの人生には、まだ次のページがある
本を読んでいる途中で、
「この章はもう終わった」
と思っても、本全体が終わったわけではありません。
人生も同じです。
一つの仕事が終わった。
一つの関係が終わった。
一つの夢が終わった。
一つの時代が終わった。
それは、
あなたの人生全体が終わった
という意味ではありません。
次のページがあるかもしれません。
第51章
キリストにある希望
キリスト教の希望は、
「人生は必ず自分の計画どおりになる」
というものではありません。
むしろ、
神が人生を見捨てない
という希望です。
ローマ8章38–39節では、神の愛から人間を引き離すことのできるものはないという強い確信が語られています(Romans 8:38–39)。
第52章
希望は死を超える
キリスト教の最終的な希望は、死を超えます。
イエス・キリストの復活は、キリスト教信仰の中心です(1 Corinthians 15:3–4)。
パウロは、
「死は勝利に飲み込まれた」
という希望を語ります(1 Corinthians 15:54, KJV)。
これは、現在の苦しみを否定するものではありません。
しかし、
現在の苦しみが最後の言葉ではない
という希望です。
第53章
新しい天と新しい地
聖書の最後には、新しい天と新しい地のビジョンがあります(Revelation 21–22)。
そこでは、
死。
悲しみ。
叫び。
痛み。
が最終的にはなくなるという希望が示されます(Revelation 21:4)。
キリスト教の救いは、単なる心理的慰めではありません。
最終的な世界の回復への希望でもあります。
第54章
「人生が無意味になった」と思ったあなたへ
もしあなたが今、
「私の人生にはもう意味がない」
と思っているなら、
私はあなたに、
「そんなことを考えてはいけない」
とは言いません。
あなたの痛みには理由があります。
あなたの失望にも理由があります。
あなたの涙にも理由があります。
しかし、
今感じていることが、あなたの人生の最終的な真実とは限りません。
感情は重要です。
しかし、感情だけが未来を決めるわけではありません。
第55章
「もう一度」
もう一度。
この言葉は小さいですが、大きな意味を持っています。
もう一度、
起きる。
もう一度、
祈る。
もう一度、
愛する。
もう一度、
学ぶ。
もう一度、
信頼する。
もう一度、
誰かに話す。
もう一度、
神を求める。
もう一度、
歩き始める。
人生は、いつも一度の大きな奇跡によって変わるとは限りません。
小さな「もう一度」が積み重なって変わることもあります。
第56章
もしあなたがイエスに近づくなら
イエスに近づくために、完璧になる必要はありません。
あなたの疑いを持ったままでもいい。
質問を持ったままでもいい。
怒りを持ったままでもいい。
涙を持ったままでもいい。
過去を持ったままでもいい。
ただ、
「イエス様、もしあなたが本当に私を知っているなら、私を導いてください」
と祈ることから始めることができます。
第57章
救いは新しい関係である
キリスト教の救いを単なる宗教的会員資格として理解してはいけません。
救いは神との関係の回復です。
人間の罪。
神の恵み。
キリストの十字架。
復活。
信仰。
赦し。
新しい命。
これらはすべて、神との関係の回復という中心に結びついています。
第58章
「私はもう終わった」という嘘
人生の絶望は、ときに一つの言葉を心に植えつけます。
「私はもう終わった。」
しかし、
あなたの失敗は、あなたの人生そのものではありません。
あなたの喪失は、あなたの存在そのものではありません。
あなたの罪は、あなたの未来そのものではありません。
あなたの現在の苦しみは、あなたの永遠の運命そのものではありません。
キリスト教の福音は、
「終わりに見える場所にも、神は新しい始まりを作ることができる」
と語ります。
第59章
あなたの人生は物語である
一つの出来事だけで物語全体を判断することはできません。
第一章だけを読んで、
「この本は悲劇だ」
とは言えません。
人生も同じです。
今日の章が暗くても、
次の章がまだ書かれていない可能性があります。
そしてキリスト教では、最終的な著者は神であるという希望があります。
第60章
最後の答え――希望
本書のタイトルは、
「生きる意味を失ったとき」
でした。
しかし最後に、この言葉を置きたいと思います。
意味を失ったように感じることと、人生そのものが意味を失ったことは同じではありません。
あなたは今、意味を「感じられない」かもしれません。
しかし、それは意味が存在しないことを証明するものではありません。
あなたは今、希望を「感じられない」かもしれません。
しかし、それは希望が存在しないことを証明するものではありません。
あなたは今、神を「感じられない」かもしれません。
しかし、それは神が存在しないことを証明するものでもありません。
キリスト教は、
神はあなたを創造し、キリストにおいてあなたを探し、赦し、新しい命へ招いている
と語ります。
だから、
もう一度。
歩いてみてください。
もう一度。
希望を探してください。
もう一度。
神を求めてください。
もう一度。
イエスの言葉を読んでください。
あなたの人生には、
まだ次のページがあります。
付録A
30日間・「意味を取り戻す」旅
第1週――自分自身を見つめる
1日目
今の自分の気持ちを正直に書く。
2日目
最近失ったものを書く。
3日目
まだ残っているものを書く。
4日目
人生で感謝できるものを5つ書く。
5日目
自分の最大の後悔を書く。
6日目
その後悔から学んだことを書く。
7日目
「私は本当は何を求めているのか」と書く。
第2週――関係を取り戻す
8日目
話したい人を一人思い浮かべる。
9日目
その人に連絡する。
10日目
誰かの話を30分聴く。
11日目
誰かに感謝を伝える。
12日目
誰かを赦すことについて考える。
13日目
自分が助けられた経験を思い出す。
14日目
誰かを助ける。
第3週――神を探す
15日目
「神はいるのか」と考える。
16日目
詩篇23篇を読む。
17日目
詩篇139篇を読む。
18日目
ヨハネ福音書1章を読む。
19日目
マタイ11:28を読む。
20日目
ヨハネ3:16を読む。
21日目
5分間祈る。
第4週――新しい方向へ
22日目
自分の能力を5つ書く。
23日目
それらを誰のために使えるか考える。
24日目
自分が変えたいことを一つ選ぶ。
25日目
一つの悪い習慣を見直す。
26日目
一つの良い習慣を始める。
27日目
誰かのために奉仕する。
28日目
未来について書く。
29日目
「神が私を導くなら、私はどこへ向かいたいか」と考える。
30日目
次の祈りをする。
付録B
30の振り返り質問
- 私は何を失ったのか。
- その喪失は私にどのような影響を与えたか。
- 私は何を恐れているか。
- 私は何を後悔しているか。
- 私は自分自身を赦せているか。
- 私は誰かを赦す必要があるか。
- 私は誰かに謝る必要があるか。
- 私は誰を信頼できるか。
- 私は誰かに助けを求められるか。
- 私が今でも大切にしているものは何か。
- 私が失っていないものは何か。
- 私の人生で最も意味があった経験は何か。
- 私は誰かの人生に貢献したことがあるか。
- 私は誰かを愛したことがあるか。
- 私は誰かに愛された経験があるか。
- 私は自分の価値を何によって決めているか。
- お金を失ったら私は誰か。
- 仕事を失ったら私は誰か。
- 社会的評価を失ったら私は誰か。
- 神について私は何を信じているか。
- 私は神に怒っているか。
- 私は神を求めたいと思っているか。
- イエスについて何を知っているか。
- イエスについて何を疑っているか。
- 赦しとは何だと思うか。
- 希望とは何だと思うか。
- 私はどんな人間になりたいか。
- 私は誰のために生きたいか。
- 私の人生の次の一歩は何か。
- 「もう一度始める」としたら、何から始めるか。
付録C
人生の意味を失った人のための短い祈り
神様。
私は今、人生の意味が分かりません。
以前は希望がありました。
しかし今は、何を目指しているのか分かりません。
私の心には痛みがあります。
後悔があります。
失望があります。
恐れがあります。
もしあなたが本当に私を造られた方なら、私を見捨てないでください。
私が見ることのできない未来を、あなたが見ていてください。
私の罪を赦してください。
私の壊れたところを回復してください。
私が過去だけを見るのではなく、これからの道を見ることができるようにしてください。
イエス・キリストが本当に私の救い主であるなら、私にあなたを知る道を示してください。
私に新しい命と新しい方向を与えてください。
今日を生きる力を与えてください。
そして、私が再び誰かを愛し、誰かに仕え、誰かの希望になれるようにしてください。
アーメン。
付録D
本書の主要メッセージ
本書の中心的なメッセージを、次の10点にまとめることができます。
- 人生の意味を失ったように感じることは、人間として経験し得る深い苦しみである。
- 失望や喪失は、人間の人生の方向感覚を大きく変えることがある。
- 失敗したことと、失敗そのものになることは違う。
- 過去は変えられないが、過去との関係や未来への方向は変えられる場合がある。
- 人間は意味と所属を求める存在である(Frankl, 2006; Baumeister & Leary, 1995)。
- キリスト教では、人間の究極的な価値は成果ではなく、創造主との関係に根拠を持つ。
- 十字架は、罪と神の愛が交差する場所として理解される(Stott, 1986)。
- キリスト教の救いは、罪の赦しだけでなく、新しい命と神との関係の回復を含む。
- キリストの復活は、死と絶望が最後の言葉ではないというキリスト教の希望の根拠である(Wright, 2003)。
- 人生の暗い章は、必ずしも人生全体の結論ではない。
参考文献
References
Baumeister, R. F., & Leary, M. R. (1995). The need to belong: Desire for interpersonal attachments as a fundamental human motivation. Psychological Bulletin, 117(3), 497–529.
Cacioppo, J. T., & Cacioppo, S. (2014). Social relationships and health: The toxic effects of perceived social isolation. Social and Personality Psychology Compass, 8(2), 58–72.
Deci, E. L., & Ryan, R. M. (2000). The “what” and “why” of goal pursuits: Human needs and the self-determination of behavior. Psychological Inquiry, 11(4), 227–268.
Frankl, V. E. (2006). Man’s search for meaning. Beacon Press.
Fromm, E. (1955). The sane society. Rinehart.
Lewis, C. S. (1952). Mere Christianity. Macmillan.
Maslow, A. H. (1943). A theory of human motivation. Psychological Review, 50(4), 370–396.
Ryan, R. M., & Deci, E. L. (2000). Self-determination theory and the facilitation of intrinsic motivation, social development, and well-being. American Psychologist, 55(1), 68–78.
Sartre, J.-P. (2007). Existentialism is a humanism (C. Macomber, Trans.). Yale University Press.
Stott, J. (1986). The cross of Christ. InterVarsity Press.
Wright, N. T. (2003). The resurrection of the Son of God. Fortress Press.
聖書参考箇所
Biblical References
本書では、以下の聖書箇所を中心に参照した。
- 創世記 1:1
- 創世記 1:26–27
- 詩篇 23
- 詩篇 34
- 詩篇 42
- 詩篇 46
- 詩篇 139
- イザヤ 40:31
- エレミヤ 29:11
- マタイ 11:28–30
- マルコ 8:34–37
- マルコ 10:43–45
- ルカ 15:11–32
- ルカ 19:10
- ヨハネ 3:16
- ヨハネ 11:35
- ヨハネ 14:6
- ローマ 3:23
- ローマ 5:3–5
- ローマ 5:8
- ローマ 6:4
- ローマ 8:38–39
- コリント第一 15:3–4
- コリント第一 15:54–57
- コリント第二 5:17
- エペソ 2:8–9
- ピリピ 3:13–14
- ヨハネ第一 1:9
- 黙示録 21:1–5
- 黙示録 22:1–5
聖書本文の日本語引用については、出版時に使用する日本語聖書訳を一つに統一することが望ましい。本稿では、聖書箇所の意味を説明する目的で一部を意訳している。
著者から読者へ
この本を読んでいるあなたへ。
もしかすると、あなたは今、人生の中で最も明るい場所にいるのではないかもしれません。
何かを失ったのかもしれません。
誰かを失ったのかもしれません。
夢を失ったのかもしれません。
仕事を失ったのかもしれません。
自分自身を失ったように感じているのかもしれません。
あるいは、何も失っていないのに、なぜか心が空っぽなのかもしれません。
もしそうなら、
「もっと強くなりなさい」
とは言いたくありません。
「そんなことを考えてはいけない」
とも言いたくありません。
むしろ、
「あなたの問いを大切にしてください」
と伝えたいと思います。
「なぜ生きるのか。」
「人生に意味はあるのか。」
「神はいるのか。」
「私は赦されるのか。」
「もう一度始められるのか。」
これらは、人間が真剣に生きようとするときに生まれる問いです。
そして、キリスト教には一つの希望があります。
あなたの人生の最後の言葉を、あなたの失敗が決める必要はありません。
あなたの喪失が決める必要もありません。
あなたの過去が決める必要もありません。
あなたの現在の痛みが決める必要もありません。
キリスト教は、最後の言葉は死ではなく命、絶望ではなく希望、罪ではなく赦し、破壊ではなく回復であると語ります。
キリストにある新しい命。
それは、
「何も問題がない人生」
ではありません。
それは、
「どんな状況にあっても、神と共に新しい方向へ歩むことのできる人生」
です。
だから、今日という日を最後の章だと思わないでください。
ページをめくってください。
もう一度。
そして、もしあなたが神を求めるなら、
イエス・キリストについて読んでください。
その言葉を聞いてください。
その十字架を考えてください。
その復活を考えてください。
そして、
「イエスよ、あなたは本当に私の人生を新しくすることができるのですか」
と尋ねてみてください。
その問いから、
あなたの新しい旅が始まるかもしれません。
あなたの人生には、まだ次のページがあります。
そして、希望はまだ終わっていません。